ソフィアン

ゆりちゃんが現地の幼稚園に通い始めて、数ヶ月たった頃。
年長になって嫌がらずに通うようにはなっていたが、
お友達の名前が会話に出てくるわけでもない。
一体どういう生活をしているのかな、と思っていた。

そんなときに出てきた名前が「ソフィアン」だった。
ようやく出てきた人の名前。
そしてその人と出会う機会は意外にも早く訪れた。
幼稚園降園後に行っていたcentre de loisirsに迎えに行ったとき、
ゆりちゃんが「ソフィアーン」と呼んだのだ。

ソフィアンは給食のおばちゃんだった。
ゆりちゃんのことを「ma puce(まぴゅす=直訳では「私の蚤ちゃん」だが、
フランスでは子供への愛情のこもった呼びかけによく使われる)」と呼び、
ぎゅっと抱きしめてくれた。
その瞬間、私の心はきゅんとなった。

フランスの幼稚園では、
外国人だからと差別もないけど区別もない。
わけ隔てなく面倒を見てくれる。
それはそれでありがたかったけど、やはり未知の世界に放り込まれて
寂しい思いをしていたのは確かだろう。
そういうときでも、ゆりちゃんが目立って落ちこぼれていたり
精神不安定になっていたわけでもなかったので、
他のフランス人と同等に扱われていた。
本当はフランス語もしゃべれなくて、なかなかお友達も作れなかったのに…。
特に年長になってからは、小学校入学への準備学年ということで、
カリキュラムはかなりお勉強色が強くなっていた。
うちはもっと頑張れとか、ハッパをかけるようなことは言われなかったけれど、
お迎えに行ったときの先生のかける言葉は
「ma grande(まぐろんど=お姉ちゃんってかんじかな)」で、
言外に「大きいんだからしっかりね」という意味あいを感じずに入られなかった。
フランス語がしゃべれなくても意味は分かりつつあったゆりちゃんにとって、
これはけっこうプレッシャーだったのではないか。

そんな寂しさを感じていたゆりちゃんを心底かわいがってくれたソフィアンに、
ゆりちゃんはすごくなついていた。
ソフィアンの態度に自分との間の壁を感じなかったのだろう。
家でもよくソフィアンの話をしていた。
小学校に入ってからも、幼稚園の馨たちを迎えに行ったときにソフィアンに会うと、
お互いに嬉しそうな顔をしていた。

ソフィアンの名前を聞くと、当時のほろ苦い感情を思い出す。
でも、フランスの幼稚園時代を振り返ったとき、
必ず最初に思い出す名前なのだ。