チュニジア紀行

2001年8月15~29日

~いくら旅にトラブルはつきものとはいえ、ここまでしなくても~

※記載中斜体(斜めの文字)になっているのは、
タクシーの運転手やホテルのスタッフなど、
現地で耳にした情報です。
したがってどこまで信憑性があるかはわかりませんので、
ご了承ください。

★チュニジアってどんな国?

チュニジアと聞いてどんな国かイメージのわく人は
きっと学生の頃真面目に地理を勉強したのでしょう。
私はさっぱりわかりませんでした。
カルタゴという遺跡があることくらいは知っていますが、
どんな遺跡なのかも分かりません。

場所はアフリカの北なのですが、
もっと簡単に言うと、
地中海沿岸、すぐそこはシチリア島、イタリアという立地です。
これで少しイメージがわきますか?

こんな好立地にあるから当然といえば当然ですが、
国の産業の50%が観光、25%が公共サービスだそうです。
公共サービスには公共機関のほか、ホテルやタクシーも含まれるそうなので、
おおざっぱに言って7割は観光関係と言ってもいいでしょう。
観光立国なのか…。
事実私たちの行ったジェルバ島は
ヨーロッパではポピュラーなリゾート地なのです。

タクシーは呼ぶと5分もしないで来ますし、流しもたくさんあります。
24時間体制で、一台につき二人のドライバーがいて、
12時間交代で勤務しています。
個人タクシーはなく、みんなタクシー会社に所属。
取り分はドライバーが25%。けっこう過酷です。
タクシーに使う車は10年ごとに買い換えます。
ダンナが乗ったタクシーはあと3週間で新車に買い替えで
すごく喜んでいたそうでした。

庶民はどんなようすなのか、は
ほとんどホテルから出なかったのでよくわかりません。
ただ近くのマルシェ見学をしたので、
食生活の一端を垣間見ることはできました。
野菜のマルシェの日だったのですが、
特徴的なのは、香辛料と豆類が豊富なこと。
左はさまざまな香辛料。カレーが作れそうです。
中は豆類。ひよこ豆のほか知らないものも。
右は乾燥ソラマメ。どこの豆屋さんにもありました。

野菜そのものはフランスとあまり変わりません。
左は山積みのスイカ(フランスではこんなにたくさん見かけませんが)、
右はトマトと唐辛子。

雑貨もありました。
左は帽子やバッグの店、
右はマルシェから外れますが、チュニジア陶器の店。

ホテルからマルシェまでカレーシュという馬車に乗りましたが、
道中は赤っぽい土にナツメヤシが所々茂り、
ぽつんぽつんと白壁にドームのついたイスラム建築の家が
建っています。
山羊やロバを飼っている家もあります。
夜になってももちろん街灯はないので真っ暗。
そんな中を買い物帰りのチュニジア人が歩いています。

チュニジア人は多言語を操ります。
教育事情を探ると、
3年生からフランス語、8年生から英語を学びます。
その時点で母語のアラビア語を含めて3ヶ国語、
その後イタリア語かドイツ語を選択するそうです(大学進学時?ちょっと不明)。

それなりの学歴がある人は、
少なくとも4ヶ国語が操れることになります。

滞在中一度「シロッコ」が吹きました。
砂漠から吹く風ということで、
まさに熱風。
体感温度は40度を超えているのではないでしょうか。
水に入っていないと耐えられないくらいの暑さです。
夕方になるとパタッと風がやみ、
それから急に涼しくなりました。

★トラブル続出

今思えば、オルリー空港のカフェのお姉ちゃんが
レジをこわして金額を手計算したものの、
足し算ができなくてすごく待たされたところから
トラブルが始まっていたのだけど、
そのときは知る由もありませんでした。

搭乗直前にゲート変更

離陸20分前、そろそろ搭乗かというそのとき、
いきなりゲートが変更になりました。
FゲートからEゲートへ。
ロビーの端から端まで移動しました。
手荷物のエックス線検査からやり直しです。
しかも、待合室からバスで飛行機へ。
空港の端っこにとまっている怪しい飛行機です。
そんな時間に移動しているのですから、
当然大幅に遅れて出発しました。
荷物はちゃんと来るんだろうなと心配しましたが、
それは大丈夫でした。

水が合わない

出発前から体調が万全でなかったせいか、
着いて一日で下痢P(しかも私だけ)。
水道の水を飲んだわけでもないので、
体が弱っていたからなのでしょうか?
ミネラルウォーターですら飲むとダメ。
しょうがないのでアルコールと炭酸飲料だけを飲んで
一週間ほど過ごしました。
何日たっても治らないので、
飲みたくなかったけど下痢止めを2回服用。
そうしたらあっという間に治りました。
でもできる限りミネラルウォーターも飲みませんでした。

両替レート

ホテル滞在型だし、食事も全て込み、
お金なんていらないよね、と
ろくな現金の手持ちもなく出かけた我が家。
でもお土産はやっぱり現金じゃないとダメなのです。
ホテルの両替レートを見ると、
10フランで1945と表示されています。
1945ディナール?
ボーイへのチップが1ディナールくらいとガイドには書かれています。
そんなに物価が安いのか?
10フラン両替しただけで滞在中ありあまるほど使えるのか?
そんなわけありませんでした。
1ディナールは1.000ディナールと表記されます。
つまり1945は1945.000ディナールではなくて、
1.945ディナールだったのです。
そうなるとけっこう物価は高い。
200フランで40ディナールです。
ミネラルウォーターは1.5リットルで1.5ディナール、
カレーシュでの市場見学は一人15ディナール(赤ちゃんの分も取られた)、
おかげでお金を下ろすために3回ほど出かけるハメになりました。

ダンナ骨折

プールサイドを歩いていてこけて手をついたら、
すごい痛みが走ったそうです。
冷やしても全く変わりないので、
医者を頼んだら、夕方だったこともあり、
翌日の朝来ることになりました。
当日は痛みを押さえるために
レストランのナイフとナプキンで手を固定しました。
(これでかなり楽だったとか)
翌日往診してもらい、
すぐにジェルバ島の中心地の病院へ行きました。
結果は骨折ではなくてひび、全治一ヶ月。
ギプスをして残りの日々を過ごしました。

もっとも滞在中は何人もギプスをしている人(子供ばかりだけど)を
見かけました。
ゆりちゃんとすごく気があって遊んでいたフェリックス(7歳)も、
ある日突然姿が見えなくなり、
あとで聞いたら骨折して予定を切り上げて帰国したとか。
スタッフの一人も肩をドアではさんで全治2ヶ月の骨折をしたそうで、
安全管理に問題あり?とも思いました。

ダンナがかかった病院は決して大きくはないのですが、
リビアからも患者が来ていたそうです。
リビアはチュニジアの隣。
現地ではそういう医療が望めないのか、
社会事情をよく表しています。

パラセーリング落ちる

ゆりちゃんがどうしてもやりたいと言うので、
最初に私とゆりちゃんと馨、
次にダンナと係の人とで乗りました。
私たちは特に問題もなく戻ってこられましたが、
ダンナが乗ったとき、
海上でスーッと高度が下がったと思ったら、
そのまま海に突っ込みました。
先導するボートのスピードミスだと思いますが、
こんなことはよくあることなんでしょうか?
ボートのドライバーとダンナと一緒に乗っていた人は
本気でけんかしていたというので、
係の人たちもかなり驚いたのではないでしょうか?
いったんボートで浜辺まで戻ってきた後、
パラシュートを乾かしてもう一度乗せてくれました。
今度は無事帰還。
65ディナール請求されましたが、
(私と子供は各15ディナール、ダンナは20ディナール)
60ディナールしか持っていなかったので、
墜落の際サングラスを海に落としたダンナは
5ディナール値切ることに成功しました。

帰れない?

帰りのジェルバ空港での搭乗手続き、
いつまでたっても係が現れず、
子供たちがぐずり始めたら子連れ優先とのこと。
ほっとしていたら、とあるおっさんがいちゃもんをつけました。
どうやらパスポートにつけたフランスのビザが期限切れと言っています。
私たちは滞在許可証を持っている、
子供は滞在許可証はいらないということを説明しましたが、
相手は「ビザは期限切れ」の一点張り。
現地の旅行代理店員が「あれは警察だ」と言っていました。
窓口の脇で待たされ、
イヤなやつにつかまっちゃったなあ、
今日帰れなかったりして、と
思いながらしばらくすると、
突然チケットが発券されました。
待たされた間にフランスに照会をかけたようです。
きっとそこで大恥をかいたのでしょう。
ざまあみろ。
そう言ってやりたかったけど押さえました…。
良くも悪くも日本人の我が家は目立っていて、
いい警察のカモだったのです。

★ここはイタリア

宿泊先はBRAVO CLUB Al Jazira。

旅行代理店で「子供用プールがあるところ」という条件で
探してもらいました。
ところがここはイタリア人御用達ホテルだったのです。
よく名前を見れば察しがついたのですが、
そんなことは行くまで分かるはずがありません。

ほとんどがイタリア人、あとはフランス人かドイツ人が少し来るだけで、
うちのように英語しかできない客は初めて。
フロントも英語がほとんどできません。
このホテルは宿泊と全食事込みのプランなのですが、
宿泊客の目印に腕にタグをつけます。
(ビーチは他のホテルとつながっているので、
宿泊客以外でも出入りできるのです)
タグは色が分かれていて、
黄色はイタリア人、青がフランス人、赤がドイツ人でした。
うちはどの分類にも入らないので、
一応赤をつけさせられました。
(あとから思えば青をつけてもらったほうが
まだましでしたが…。
タグの色を見て従業員も言葉を使い分けますが、
ドイツ語で話しかけられてもさっぱり分かりませんでした)

我が家はこのホテルに初めて来た日本人とのことで、
ものすごく目立ちました。
しかしダンナが夜のショーでスタッフに誘われて出演してから、
スタッフや宿泊客の認知度が上がり、
とても過ごしやすくなりました。
スタッフに日本語を教えたり、
知らない宿泊客から声をかけられることも多く、
また子供たちはアジア人の子供が物珍しいのか人気の的。
真っ黒に日焼けしたのでよく「チュニジア人?」と聞かれました。

BRAVO CLUBはこの地区では老舗とのことでした。
周辺は新しいホテルが雨後のたけのこのごとく建設されています。
最初にできたからか、ビーチはとてもきれいないい場所です。
遠浅で、100メートルほど沖に出ても大人の肩ほどの深さです。
また水温もお風呂並みの暖かさ。

この海がホテルの目の前!です。部屋から3分。

マリンスポーツもいろいろ、
ヨット、パラセーリング、カヌーを体験しました。


左はヨットから浜辺を望む。

 

 

右、絶対分からないと思いますが、
私とゆりちゃん、馨で乗ってます。
まさか3歳の馨が乗れるとは!

砂浜でもビーチバレー、サッカー、ペタンク、アーチェリーなどあります。
プールも大人用、子供用とも2つずつあり、
室内プールも一つあります。
スタッフがアクアビクスやエアロビクス、ビーチスポーツなどの
スケジュールを組んでいますが、
参加は個人の自由、
我が家は全くそのスケジュールには参加しませんでした。

スタッフはこのようなアクティビティーのお世話のほか、
新しくきた客の出迎え、
食事中も席を回って声をかけたりと忙しいです。
ホテルそのものの管理は専属の従業員がいますが、
それ以外の全てのソフト面を請け負っています。
あるスタッフに聞いた話では、
ハイシーズンは週6日勤務、
朝は客より早く起き、夜は全てのスケジュールが済んでから就寝、
(アクティビティーは朝10時から夜中12時過ぎまであります)
夕方になるとくたくたになってしまうとか。
夜のショーはレパートリーが26あるそうで、
私たちは2週間の滞在中同じものは
一度も見ませんでした。

このショー、けっこうあなどれないのです。
ミュージカルあり、コントあり。

 

 

左はキリスト誕生のパロディー、これにダンナが出ました。

 


右はブルースブラザーズをやったとき。

スタッフの個性をよくつかんだ出し物をしているというか、
このショーのために集めたスタッフがいるんじゃないかと思うくらい。
また9月15日で客足がぱったり途絶えるそうですが、
この日はイタリアの学校の始業日だとか。

最後に食事ですが、毎日ビュッフェでした。
週に一日チュニジアンディナーの日があり、
チュニジア料理が並びましたが、
それはごく一部。
イタリア人ばかりの環境なので、
当然のことながらイタリア料理ばかりでした。
毎日必ずパスタやピザがあって子供は満足、
さらにリゾットなどのお米料理も必ずあったので、
赤ちゃん連れには助かりましたが、
現地料理を味わうにはいたりませんでした。
特に私は体調不良で怖くて食べられませんでした。
一度食べたのはブリック。
クレープのような皮で卵やツナやトマトを包み、
油で揚げてあります。
味付けはごくあっさり、でもけっこう油を吸っています。
この皮、帰ってきて近所のスーパーで発見しました。
チュニジアンサラダという、
ツナとトマトの日本人受けしそうなサラダはいけます。

★最後に

もう一度来ることがあるかなあ?
ずっとヨーロッパにいるのならまた来るかもしれないけれど、
数年の駐在生活では無理かなあ。
馨はとても気に入って帰りたくないと言いました。
ゆりちゃんは途中でビデオが見たくなっちゃったけど。
子連れが多かったけど、
年のいった夫婦もいたし、新婚さんっぽいカップルもいました。
今度来るときは砂漠ツアーにも行きたいなあ。