ベネチアのカーニバル

2004年2月13日〜20日

Parisパリ

Zurichチューリッヒ

(Luganoルガーノ)

Veniseベネチア

(Parmeパルマ)

Comoコモ

(Lezernルツェルン)

Parisパリ

★最後の旅行はどこへ?

日本に帰る前の最後の旅行はどこに行こうか、
だいぶ前から悩んでいた。
私は年末年始にイタリアに行っちゃったので、
それでだいぶ満足感があり、
2月のバカンスにどこかに行こうという気があまりなかった。
強いて言えば、やっぱりシメはオランダかな、と密かに思っていたが、
そんなの週末でも行けるとあえなく却下される。
ほとんど行っていないフランス国内はどうかとも考えたが、
この期に及んでダンナはバカンスの後半は日本出張だという。
ということは、最後の旅行に使える時間はわずか一週間。
後半の出張に備えて、あまり長距離ドライブをして疲れたくないというので、
フランス国内も却下(ボルドー方面を考えていたのだ)。
じゃあどこに行くのよ?といってダンナから出てきた案がベネチア。
ちょうどカーニバルの時期だ。
たまったマイレージを使って行こうという考え。

しかし、ここからが難関。
まず、肝心のマイレージのある航空会社ではパリ~ベネチア間のフライトがない。
提携航空会社を使う手もあったが、やはり直行便はなく、
フランクフルト経由なんていうばかげた行き方しか出来ない。
じゃあいっそのこと列車の旅はどうか、とSNCFのサイトを調べる。
身内の方々および以前からこのサイトを読んでくださっている方は

すでにお気づきだろうが、我が家のバカンス発案時期はいつも直前。
この時すでにバカンスまで2週間を切っている。
ただでさえカーニバルの時期を狙って旅行する人が多いことは分かりきっているのだ。
予想通り、列車も超満員。
いや、正確にはなくはない。
でも二人、とかそのくらいしか空きがない。
六人分の席を確保しようと思ったら早期購入しなければならなかった。

どうして我が家は学習しないのだろうか。

そういうわけで、もっとも避けるべき交通手段だった長距離ドライブを
選択せざるを得なくなる。
帰ってくるのは夜中、そして次の日のフライトでダンナは日本へ。
途中でトラブルなんかあっても
パリに帰ってくる日を変更することは出来ない。
こんなスリリングな計画でいいのか?
いつもながら無謀な旅行が始まる。

★スイスルート

今までイタリアには南仏周り、モンブラントンネル経由で行ったので、
今回は違う経路を、と友人に教わったスイス経由で行ってみた。
本当は冬場に雪の多い地域を通るのはリスキーなので、
南仏を回るのが無難なのだけど、遠回りになるので、
その分時間をロスすることになる。
上記のとおり少しでも無駄を省いて現地で時間を有効に使いたかったので、
スイスルートを選択してみた。

スイスルートはMulhouseミュルーズからスイス国境沿い Baselバーゼルに入って、
そこからスイスを南下、Luganoルガーノからイタリアに入る。
うちはパリとベネチアの中間点としてチューリッヒに一泊。
ミュルーズに来ると高速に大きな看板「CITROEN USINE」。
どうやら工場があるらしいが、高速に「工場」なんて看板、見たことがない。
そうしたら、このミュルーズという町はシトロエン発祥の地なのだとか。
今でも巨大な工場があるそうで、すぐにその工場が出てきた。
すごいっすね、企業城下町というやつでしょうか。

スイスに入るときにスイス国内の高速通行券を買う。
確か一年有効で40スイスフラン。
そこから先はドイツ語圏。
もちろんチューリッヒもドイツ語圏。

さていよいよイタリア入り。
スイスの冠雪のある山道をずっと走っていくのだが、
高速はもちろんきれいに雪かきされている。
途中長めのトンネルに入り、そこを抜けると突然イタリア語表示。
もうイタリアに入ったのか?と思うが、まだ。
そう、スイスにはイタリア語圏があったのだ。
多言語国家スイスなのだから、冷静に考えれば当たり前なのだが、
見ると聞くとでは大違い。
すでに気分はイタリア。
いつの間にか雪景色ではなくなり、すっかり春の陽光。
ルガーノ湖のほとりのカフェのテラスで昼ご飯。

 

 

 

 

 

 

もうテラスが出てる。

ベネチア再訪

今回も前回のベネチア同様、宿泊先をリド島にする。
車で島の中に入れるからだ。
ただ、残念ながら前回泊まったvilla mabapaの予約が取れなかったので、
別のホテルにした。
ベネチアに着いて、道路の指示に従ってリド島に渡るフェリー乗り場に行く。
懐かしい光景が待っていた。
私はベネチアに帰ってきたのだ。

ホテルは部屋ごとに調度の異なる古いホテルで、
私の泊まった部屋はセミスイートくらいの広さがあり、
ハイシーズンには一泊800ユーロだとか。
またホテル所有の海の家も海岸にあるのだそう。
帰る日に見に行ったけれど、まさに「ヴェニスに死す」の世界そのもの。
あれと同じ白い海の家が砂浜にずらーりと並んでいた。

今回の目的はベネチアのカーニバルを見ること。
事前に我が家の少し前に行った友人から
「仮装衣装を持参した方が楽しめる」というアドバイスをもらっていたため、
出発前日に地元の仮装衣装店(フランスってこんなものがあるのだ)で調達。
お嬢様たちにはお姫様の衣装、お坊ちゃまたちには海賊とピエロの衣装と、
少々落差はあるが、本人たちが気に入っているのでいいとしよう。

実際にベネチアに来てみると、
いるわいるわ、「ベネチアのカーニバル」と聞いて連想するそのままの衣装の人、
(私的には意外だったが)中世のルイ王朝を髣髴とさせる衣装の人、などなど。
夕方になると町のどこからともなくそういう人たちが沸いて出てきて、
ゴンドラの停泊するあたりでポーズを取って立ってくれるので、
記念撮影の嵐。

仮装している人たちはあらかじめそれを想定しているらしい。
また、仮装している人どうしで語らっていたり、
ほとんど当時の社交場そのまま。

こういういでたちの人たちが夕方に近づくに連れて
さらにわらわらと現れる。
一体どこにいたのかというくらい、まさに「湧いて出る」。
衣装はどこで調達しているのだろうか?
マイ衣装を持っていて、この日のために出してくるのか?
数年に一度、もしくは毎年新調しているのだろうか?
疑問は尽きない。
明らかに観光客風の人でもこういう本格的な仮装をしている人がいるので、
どこかに貸衣装屋があるものと想像できる。
今回は表通りだけでなく、裏の筋も散策してみた。
すると、けっこう布地屋さんというのか仕立て屋さんというのか、
そういう店があったんだよね。
そこに衣装もかけられていた。
余裕のある人はしつらえ、そうでなくても貸衣装でカーニバルを堪能できる、
そんな感じなのだろう。

 

 

 

犬も仮装。

サンマルコ広場周辺は仮装用小物を売るおみやげ物屋が所狭しと建ち並び、
顔にマキアージュをしてくれる屋台がまさに1メートルおきに出ている。
我が家も呼び込みに引っかかり、家族全員マキアージュ。
これだけでもだいぶ気分が盛り上がる。

★やっぱり寒い

カーニバルシーズンなので、2月や3月なのに、
仮装している人、特に中世の女性の格好をした人は
肩丸出しだったりするのだ。
日中は日がさせばかなり暖かいのだが、やはり2月は2月、
仮装のまま動き回れるのはよくて5時まで。
日が傾くととたんに寒くなる。
そうでなくても水辺のベネチア、
夕方になると水上バスの上もがたがたふるえるほど寒い。
カーニバルの熱気にだまされて薄着せぬよう要注意。
手袋、マフラー、帽子は必携といえる。
気になる場合はとにかく何枚も中に重ね着しよう。

★トルチェッロ島

有名なカーニバルも二日も見れば飽きる。
今回はアカデミア美術館(注:ダ・ヴィンチの「人体カノン」は一般公開されていません)も見学し、
水上バスの一番線で大運河をずっとさかのぼるという、
以前からのプランも実現したが、まだ時間が余っていた。



 

 

 

目の前にサンマルコ広場が近づいてくるひとときはけっこうわくわくしますぜ。

ホテルの人には「島巡りに行ったら?」と勧められる。
ベネチアで島といったら、ガラス細工のムラーノ、レースのブラーノが有名だが、
購買意欲のない我が家には興味がない。
すると、トルチェッロ島を教えてくれた。
ほとんど無人の島だが、教会がすばらしいという。

メジャーなムラーノ、ブラーノは比較的足が確保されているが、
トルチェッロ島は行くまでが大変。
私たちがいたのはリド島。
まずサンマルコ広場まで水上バスで行き、
そこから島の反対側の水上バス乗り場まで歩いて横断、
さらに別の水上バスでトルチェッロ島まで行く。
サンマルコ広場から河岸沿いに
トルチェッロ島行きの船着場まで行く船はないのかと思ったが、ない。
こんなのを乗り換えと言っていいのか?

実際歩いてみると、思ったほど遠くはなかった。
子連れでも15分くらい?
途中に意外と開けた場所があり、散策しながらの移動となる。
怪しいイタリア語を駆使してパンを買ったり。
もうここまで来ると、イタリア語がしゃべれないのは何の障害にもならない。
値札を見て覚えたばかりの商品名を言う。
通じなければ指さし。
クリームたっぷり、チョコレートも甘かった。

トルチェッロ島行きの水上バス乗り場ははっきり言ってさびれていた。
これから行くところが想像できるような…。
乗り場前の場末な感じのカフェで昼食を取り、いざ出発。

途中でなんと例のムラーノ、ブラーノも通る。
遠目で見て見学終わり。
トルチェッロ島近くの湿地帯はけっこう貴重なものらしいが、
残念ながら私たちにはその価値がわからない。

お客さんのほとんどがトルチェッロ島目当ての人だった。
島は冬ということもあるが、全体的に枯れ果てていて、
本当にしょぼくれている。
細い道に沿って歩いていくと、間もなくいくつかのおみやげ屋が出てきて、
その奥に教会が出てくる。

ところがこの教会が入ってみてびっくり。
見事なモザイクで飾られていた。
ラヴェンナのモザイクには多少劣るものの、
まさかこんなうらぶれた島にこんな立派なモザイクがあるとは
想像もできないだろう。
皆これを見に来ていたわけだ。

ゆりちゃんはフランス語の音声ガイドを借り、
しばしモザイクに見入っていた。
見学後に教会の裏庭を散策していると、
教会裏手の船着場(プライベートなものかもしれない)に
いくつも船が横付けて観光客が下りてきた。
チャーター船かな、それともどこかのホテルのサービス?
それだけの価値があるという島なのだろう。
このまま放っておいたらいずれは崩れてなくなってしまうかも。
ここも世界遺産に出来ないのだろうか。

帰りに行きと同様に立ち寄ったブラーノ島でちょっと途中下車。
街中を散策。

わかりにくいが、道の上のデコレーションが
目につけるマスクの形をしている。
クリスマス関連のデコレーションは多かったが、
マスク型は珍しかった。


カラフルな色の壁の家が建ち並ぶ、かわいらしい町だ。
レースで有名なだけあって、所狭しと並ぶおみやげ屋。
目抜き通りをずっと歩いて終点にある広場で傾いた塔を見て、
再び船着場に戻る。
船着場のすぐ近くにとてもかわいいレースのベビー服のある店があったので、
なんとなく入る。
ダンナは店頭のベビー服がとても気に入ったのだが、
我が家にはもう着られるお子さまがいないので、
近々出産予定の友達はいないか、と考え、
Jさんに出産祝いとしてそのベビー服を買う。
宝石みたいな繊細なベビー服だった。

そして最初のさびれた船着場に帰る。
また島を横断してサンマルコ広場に行かなければならないのかと思ったら、
到着した船着場から100メートルくらい離れた別の船着場から、
リド島行きの船が出ていた。

★雪のベネチア

私たちが滞在中は晴れ間もあったし、日中はわりと暖かく、
比較的天気に恵まれていた。
ところがベネチアを発つ日、なんと雪が降る。
けっこうな大雪。
おりしも滞在していたホテルには前日遅くに日本からの団体客が到着していた。
しかも私たちがチェックアウトする前にすでにチェックアウト。
おそらくベネチア観光に行ってしまったのだろうが、
この天気では寒くて大変だっただろう。
次の滞在地、コモに行く前にパルマで美食三昧する計画。
ところが、パルマに向かう高速道路もやはり大雪。
走れば走るほど雪深くなり、ついには除雪車の後ろを走ることに。
ロンバルディア地方久々の大雪だったらしい。
コモはもっと山に近い。
もしかして雪が積もりすぎてたどり着けないかも…。

そんな中ようやくたどり着いたパルマは寒かった。
かろうじて市内をぐるっと回った後、遅い昼食。
パルマに来たんだから生ハムを、と頼む。
寒かったけど、生ハムもリゾットもうまかった。

コモは湖の周りの美しい景色、というのがうたい文句だったが、
冬は湖周辺の美しいらしい庭園がどこもかしこも閉園。
結局何も見ることが出来なかった。
雪はもちろん深かったが、雪慣れしているのか、
除雪は完璧。
例の高速道路なんかよりよっぽどスムーズに走れた。
そんな珍しい光景を見たいのなら別だが、
コモ本来の美しさを堪能したければ、
やっぱり庭園が開いている3~9月に行った方がよいと思う。

 

 

 

大雪から一夜明けたコモ。

ルツェルンでもカーニバル

寄り道その2はルツェルン。
ルツェルン湖にかかってる橋が有名なんだそうだ。
そんなこととはつゆ知らず、のほほんと訪れた私。
カフェでお昼を食べていると、外でなんだかにぎやかな音が。
パレードだった。
こちらはベネチアとはまたうって変わった動物の仮装。
音楽を鳴らしながら練り歩き、カフェの前の広場で一休み。
かと思ったら、酒盛りになっていた…。
イタリアとはまた違う、清潔感の漂う町。
ここにはあのリヒャルト・ワーグナーが作曲をしていた家があると聞いていたが、
行ってみたらやはり冬期は閉館していた。
ルツェルン湖のほとりに立つ小さな家。
近くの公園で今回の旅行の最後のひとときを過ごす。
夕暮れの湖はたとえようもない美しさ。
そのときだけは子供が遊んでいる歓声が聞こえるはずなのに、
なぜか静寂の中にいた。