ローマ帝国栄光の歴史に酔う!

宿泊したホテルからコロッセオまでわずか5分。
遺跡と共存というより、遺跡の中に住んでいると言ったほうが近いローマ。
実は私は大学の卒業旅行でイタリア行きを計画し、ぽしゃったことがあるのだが、
そのときは「このフォロ・ロマーノってなんだろ~。
ガイドではえらくページを割いてるけど、こんなのつまんな~い」
と思っていたバカ学生だった。
ヨーロッパに来てからさすがにヨーロッパの歴史に目を向けるようになり、
自然とローマ帝国の偉業にも触れることが多くなったが、
現地に行くと「これが2000年前の人間の技か!」と度肝を抜かれる。

ローマ入りしたのが12月24日。
次の日の25日からさっそく観光を開始したが、
この日はクリスマス。
(フランスではノエルnoelだが、イタリアではナターレnataleと言う)
コロッセオは中に入れず、
フォロ・ロマーノは開いてるのかと思ったら、
周辺が一部歩けただけ。
肝心の当時の中心地には入れない…。
悔しいのでもちろん日を改めて再訪した(26日以降は大丈夫だった)。
と言っても、上記のとおり車で5分の距離なので、
散歩と変わらぬ感覚で行けたのだが。

フォロ・ロマーノ

かつてのローマ帝国の中心地。
ローマの歴史をよく知らない私でもおおおとうなってしまった。
列柱が立ち並び、凱旋門や神殿がひしめいている。
こんな古い遺跡がまだこんなにしっかり残っているなんて。
現代のイタリアもそれなりに保存の努力をしているのだろうが、
やっぱり当時の建築技術が相当優れていたからなのだろう。

入場はなんとただ。
冬季は3時半までしか入場できないが、
4時半まではゆっくり見られる。

こんなのが町のど真ん中にある

「当時の様子をほうふつとさせる」という表現があるが、
まさしくこれがぴったり。
ローマの歴史をよく知らない私には、
それぞれの建築物の説明の書いてあるガイドブックを見ても
何の事やらさっぱりわからない。
カエサルの演壇、なんてのは
「ここで演説したんだ~」と単純に喜べたけど、
もっと知識があれば二倍三倍楽しめるのに…。
過去の偉業に接するときはやっぱり予備知識が必要だ。

そういえば一部に青銅器時代の遺跡があった。
青銅器時代っていつ頃のこと…?
少なくともローマ時代よりは古いんだよなあ。

親が歴史の厚みに圧倒されている横で、
お子様たちは倒れた列柱に登ったり、石渡りをしたり。
ローマの遺跡で遊ぶ経験なんてなかなかできない。

道をはさんで向かいがわに同じような遺跡があるのだが、
以前はこのあたり一帯が遺跡だったのを、
ムッソリーニがそのど真ん中にバーンと道を敷いてしまったために
分断されたとのこと。
「ムッソリーニのバカ!」心の中で叫んだ。

凱旋門いろいろ

歴代の皇帝がなにかというと凱旋門を建てていたので、
フォロ・ロマーノ周辺だけでも3つも凱旋門がある。
凱旋門には目ざといゆりちゃん、
「凱旋門がいっぱいある…」とつぶやいていた。

上からコンスタンティヌス帝、セウェルス帝、ティトゥス帝の凱旋門。
知ってる名前はコンスタンティヌスだけ。
そういえばモーツアルトのオペラに『皇帝ティトゥスの慈悲』というのがあった。

コロッセオ

フォロ・ロマーノを見た後、調子にのってコロッセオへ。
こちらも冬季は入場は3時半まで。
行ったらまさに門を閉めようとしているところ!!
そういうときはどうするべきか?
もちろん門の隙間から体を押し込む。
門番は「もうダメダメ、おしまいだよ」と言っているが、
門のところに立っているうちのお子様を勝手にサカナにし、
「ちょっと!子供がいるんだよ!危ないでしょ!気をつけてよ!」と
全然関係ないことを(しかもフランス語で)言い、無事すべりこみ成功。
こんなところでフランスで培われたずうずうしさが役立つとは…。
こちらは有料だったがいくらか忘れた。
だいたい日本円にして800円くらいだったように思う。
子供はただだった。

こちらも閉門のあとは特に追い出されることもなくゆっくり見ることが出来た。
閉門間近の入場は実はけっこうお得かもしれない。

入場して間もなく馨が「おしっこ!」
残念ながらトイレはない。
ということで当然の成り行きながら
コロッセオにマーキングしてきたのだった。

「ここは昔のサッカー場で…(かなりおおざっぱな言い方だが)」と
お子様たちに説明するとけっこう興味を持ってくれる。
上階にも上がることができ、なんとエレベーターまである。
ベビーカー持参の我が家にはありがたい存在。
階段を昇った方が味があると思うんだけどね…。

上階から見たコロッセオ内部

内部は現代のサッカー場を想像していたのだが、
以外にも迷路のような複雑なつくり。
その迷路のような部分は倉庫などに使われたとのこと。
その上にあった競技をするスペースは
写真のように一部を残して今はない。
「ここからライオンが出てきたのね」と思わせるような、
柵つきの部屋もあった↓。

チルコ・マッシモ

最初聞いたときは「それ何?」と思ったが、
映画『ベン・ハー』の舞台になった戦車の競技場と聞けば、
納得のいく方も多いはず。

今は言われなければただの空き地、という感じで、
わずかにトラックの跡が当時を物語っている。
ここは自由に歩くことができ、
散歩する人やボールを蹴っている子供も見かけた。
遺跡でサッカー、のどかだなあ。

パンテオン

フォロ・ロマーノは街中といっても敷地の広さから、
ちょっと公園っぽい感じがするが、
パンテオンは本当に普通の街中に突如現れる。
なんと紀元前のもの。
写真は暗いので分かりにくいが、
ギリシャ神殿っぽいつくり。
だから内部も四角いスペースを想像して入ると…

なんと後ろはドーム型!
この一見ミスマッチな組合わせに驚かされる。
神殿のどっしりしたちょっと暗めな雰囲気からはかけ離れた明るい内部。
それはドームの天井に丸窓があって、
そこから光がさんさんと降り注いでいるからなのだ。
ここにはなんとラファエロの墓があったそうなのだが、
疲れていたのと人が多かったのとで、
ろくに見ないで出てきてしまった…悔やまれる。

サンタンジェロ城

テヴェレ川沿いに建つ美しいお城。
元はお墓だったのだとか。
てっぺんに建っているのは天使の像。
それが名前の由来になっている。
こちらも円形。
川に写る橋も美しい。
中に入るヒマがなかったが、
今回見た中では一番のお気に入り。

アルルでもローマの遺跡を発見

イタリアから南仏を回って帰る途中、
アルルの近くに「pont du gardポン・デュ・ギャール」という
ローマ時代の水道橋があるというので、
それを見に行こうとアルル周りで帰ることにした。
あいにく近くを通れたときは夜で見えなかったのだが、
ちらりと寄ったアルルで意外なローマの遺跡を発見。
なんとここにもコロッセオがあったのだ。

しかもローマのコロッセオより古く、紀元前2世紀のものだとか。
アルルは闘牛の町で、
このコロッセオでいまだ闘牛が催されているのだ。
アルルといえば、ビゼーの「アルルの女」、
そしてゴッホくらいしか知らなかったのだが、
ローマという新しいキーワードができた。
南仏はローマ帝国の支配下におかれたところが多いようなので、
今後また訪れる楽しみが増えた。